4月7日発売「大人のおしゃれ手帖」5月号で、BEARDSLEYのタイアップページに登場いただいた、写真家 安彦 幸枝さん。今回は前後編で、BEARDSLEYのオフィシャルサイトへ旅のエッセイを書き下ろしていただきました。安彦さんの視点で綴る南イタリアの旅の記憶をお楽しみください。
風景のなかに、犬はどこだ、猫はどこだ、とつい探してしまう。
それは日常でも旅先でも変わらない、昔からの癖だ。
遅い夏休みをとり、南イタリアへ行った。
旅のあいだは、ときにカメラを片手によく歩く。
季節はずれの小さな村は人間の数も車の量も少ないから、犬も猫ものびのびとしている。
遠くの屋根の上には、陽の光をたっぷりと浴びた猫。
四肢を伸ばして、まるで体中の脂が溶けてしまったように、平べったくなって眠っている。
くねくねと旧市街の石畳を歩いて、すれ違う犬に挨拶をする。
犬は、どうもどうも、と笑いながらこちらをめがけて走ってくる。
ひとしきり犬の背中を撫でて、犬は私の手をなめて、つかの間の友情を交歓する。
これは父の影響だ。父は昔から、道ですれ違う見知らぬ犬猫との交流を欠かさなかった。
気がつくと私も同じことをしている。
南のあたりは、まだ犬のしつけがおおらかなのだろうか。
たまに紐をつけている犬がいると、飼い主は大型犬にぐいぐいと引きずられるようにして歩いているのを見た。
礼儀正しいパリやロンドンの犬が見たら、きっとびっくりするだろう。
いろんな猫を見た。
内陸をローカル線で移動していたときのこと。
どこまでもゆっくりと続くオリーブの林と葡萄畑の風景を、見飽きながらも眺めていた。
ふと畑が途切れて、細い農道の真ん中で三人のおばあさんが輪になって話をしている。
その輪に加わるように、一匹の大きな白い猫がまじっていた。
三人と一匹は輪になって、まるで井戸端会議をしているようだった。
あっと思ったそばから風景は遠くへ流れ去ってしまう。
絵本のような車窓の風景だった。
長靴に例えられるイタリアの国土。かかとのあたりの港町ガッリーポリでのこと。
黒猫が5匹、等間隔の縦列になって埠頭を行くのが見えた。
せっせと歩く五つの黒い影とイオニア海の青が、鮮やかに焼きついた。
猫たちが向かった先の砂浜へ降りると、誰かがごはんをあげているらしい、
さきほどの黒猫一家は山盛りのフィジッリ(ねじねじのショートパスタ)を食べていた。
皿を覗いてみると、見たことのない形のパスタも混じっていて、それがとっても美味しそう。
いつか山梨で、茶トラ一家が片手鍋になみなみと溢れそうな、ほうとうの煮込んだのを食べていたのを思い出す。
昔から、猫はこうして人のあまりもの、土地のものを食べて暮らしてきたのだろう。
東京で留守番をしている老猫は、腎臓機能サポートの缶詰を食べている。
マテーラの洞窟レストランで食事をしたときのこと。
会計を終えて、チャオ、ボナセーラと見送られながらドアを開けると、
正面から二匹の猫がさっさっと小走りに店へ入るのとすれ違った。
「八時に二名で予約してます」とでも言いそうな、きりっとした真面目な表情が忘れられない。
ウェイターにあえなく店の外へ追いやられた二匹は、
ドアノブに飛び上がっては、それでも店の中へ入ろうと頑張っていた。
あまりにも一瞬のことで撮りそこねてしまったために、かえって強く記憶に残る光景がある。
残念なことに、そんな写真のストックで一冊の写真集ができるかもしれない。
記憶の中で少しづつ美化されたそれらは、いまや名作ばかりだ。
Photograph & Essay:Sachie Abiko
「大人のおしゃれ手帖」をはじめとした雑誌、書籍、広告など多岐にわたって活躍。
著書に実家に暮らす猫と、そこにやってくる猫たちの姿を記録した、『庭猫』(パイインタ-ナショナル)。
旅のスタイルは、リュックサック。フィルムカメラをきままに向ける。
http://www.abicosta.com